2011年2月25日金曜日

#13 再確認

つらつら書き記したい事が見つかったので、ちょっと書きます。

ボクは考える事が好きになっている。

最近、自分は頭を使って、いろんな事を考えて、アイデアを練り上げることを良くするようになった。最近とはいえ、コピーライターをフリーでやり出してから、体質が変わったのかもしれないが、最近特に、考えているこの過程自体が楽しくて仕方が無い。

でも、たぶん本当に好きな事はもっと違う所にあったことを最近再確認した。

家族、友人、恋人、初対面の人、まだ会った事も無い人。
誰でも良いから、感動させたい。笑顔にしたい。ドキッとさせたい。

そういうことが好きだから、そのために考える癖がついていたのかもしれない。

赤裸々にここには書き示すと決めたので、フリーのコピーライターとしていい経験を数多くした中で一押しのエピソードを。


「母の日」

あるお花屋さんから知り合いを通して、お仕事が来た。
季節は、春先。
後一ヶ月で母の日が来る。お花屋さんにとっては、母の日は多くの人がカーネーションを求めてやってくる時期で、大忙し。 

  のはず。

だけれども、最近は母の日にカーネーションをプレゼントする人もなかなかいない。しかも、母の日にしか売れなくて、毎年のように大量のカーネーションが余ってしまう。

こんな悩みを解消するために、母の日のキャンペーンをするという内容だった。

ボクには、その中のお花が並ぶ店頭に置かれるPOPを任され、カードに収まるコピーをという仕事が流れて来た。

ボクは必死に考えました。

なんで余ってしまうんだ?なんで花を買う人が減ったんだ?。。。と来る日も来る日も
考えました。

ボクは自分の母の事を思い浮かべました。
母の事を考えていくうちに、ボクの母はいつ母になったのかという所にひっかかりました。

そこでうまれたコピーは、全部で10本。
その中でも『ボクの誕生日が本当の母の日かもしれない。』というコピー。

これをクライアントに提出したときは、緊張で死にそうでした。
でも、青白い顔をしたボクに降って来た言葉は
『ありがとう、いいじゃん。』と少し照れた様子のクライアントの声でした。

目の前の人がほっこりした。こんなに嬉しかった事はなかなかありません。

このことは今でも鮮明に覚えています。自分まで鳥肌が立って、心の中で鬼のようにガッツポーズしていました。

それだけではなく、先日、ボクの母にこの事を言った所、母は
「ありがとう、良い息子を持って幸せだよ。」とうるっと目をうるわせながら、笑ってました。

その仕事でもらったお金はわずか数万円。

でも、この数万円という価値の数倍も数十倍も大事な自分の人生のモチベーションが得られたことは確かです。

人の心を揺さぶって、ちょっと幸せになってもらう。そのためには、考える事に貪欲で妥協は一切しない。
これがボクの人生のモチベーションであることを最近、確認しました。

大事なことだから、こうやって書き記してみました。

2011年2月19日土曜日

#12 目線が変われば、日々も変わる。





この動画はセクシーな女性のお尻にカメラを忍び込ませ、そのお尻を観る人々を街の中で撮影したものです。

凄く面白いです。

みんなひっそり観てるんですね。

まぁボクはむしろガッツリ見ますが


でもこの動画というより、この試みの面白さは、視点の変化。

例えば、セクシーな女性をちらっと観る男性を街の中でとろうと思えば、色々と考えられます。

胸元でも良いし、髪飾りでも良いし、むしろ、他の人が撮影してても良いし、定点カメラでも良いと思います。


でも、このセクシーな女性という対象の中で、もっとも観るであろうお尻にカメラを忍ばせる事で、とってもチャーミングな動画が撮れたんじゃないでしょうか。


男はいくつになっても女性が大好きなんですねw

2011年2月15日火曜日

#11  良い記事発見しちゃった。

パーソナルファブリケーションという言葉はまさにこれから進んでいくであろう流れ。

別に全員もの創れるようになるっていう訳ではなくて、そういうマインドを持ったクリエイターの創ったプロダクトが実は一番、売れる商品の開発方法なのかもしれないっていう事。


なんでか?
マーケットインで創られたプロダクトはもちろんそれなりに良いものが出来る。いや、それなりに良さそうなものは出来る。でも、緩やかな衰退ないし、緩やかな発展しか生まないと思う。


その環境に置いて、その状況に置いて最適なもの。自分のニーズに合ったものを自分で創るという価値観は凄く正しいと思う。自分の文化に対して、必要な技術を生んでいく。もしくは、今持っているよく分からない技術を、自分の文化に当てはめて利用していく。この二つのうちどっちかだ。


少し前に、河尻さんとか猪子さんがローカルであればあるほど、グローバルになる(汎用性がある)。って言ってたのと同じだと思う。

もちろん文化的な差異はいっぱいある。でも、文化というローカルさを超えて、人の本質、人の動きの要素まで掘り下げてみれば、そのニーズは相当広範囲に適応できる可能性を秘めていると思う。

ここで、話は飛ぶけど、イノベーションてこういう事だと思うんだよね。

結果として、新しいものを生めるかどうかであって、過去、今を破壊しないとイノベーションをした事にはならない気がするんだよね。
広範囲にその価値が散布されないとイノベーションではないと思う。

この破壊っていうのは、多分再構築に近くて、粘土で創られた彫刻をハンマーで砕いて、もう一回水に溶かして、新しい陶器を創るみたいな事と同じだと思うんだよね。



で、また記事に戻るんだけど、アイデアを考えるのと同じくらい速いスピードでプロトタイプを創るって言う事に意味がある。って書いてあったけど、確かにそうだなって。


それは、考えている間に同じものを創る人がいるかもしれないとか、そういう小さい事ではなくて、エラーを見つけるためであったり、思わぬ汎用性を見出すためだと思う。



ていう、よくわからないであろう。ボクの感想はどうでもよくて、ここに入りたい。

それが言いたかったですw

2011年2月7日月曜日

#10 希少性

価値としての希少性。

最近と言うか、基本的に人生毎日なんだけど、いいなぁとか素敵だなぁとか面白いなぁとか何かしらに価値を見出すと思うんですが、その価値の中の1つのカテゴリーとして希少性って言うのが有ると最近注目してます。


希少性ってつまり、珍しいってことですが、もう少し広げれば、限定的、機会や時間に依存的とでも言えるのではないでしょうか?


この企画、箭内道彦さんが手がけたものですが、このようなプレミアム感や限定感を使ったコミュニケーションは決して少なくないと思います。

なぜなら、このCMを見た人は、少ないかもしれませんが、見たくなる人は普通より多くなります。つまり、広告として最大の壁、見たいと思わせるかどうか、無視されない広告かどうかというハードルを逆に使ってます。

そして、なぜか分からないけど、見た人は優越感とともに、インターネットと言う伝搬速度の速いメディアに書き込んでいく事で、バズと言うものが生まれやすくなるんです。

要は、この広告は現象を起こすために仕掛けられいるものです。
社会的になんかこのCM見た?っていう会話を増やすための一番手っ取り早いやり方だと思います。


そして、今こそこの希少性をどのように持たせるのかがメディアであったり、サービスであったり、ビジネスであったりさまざまなモノに求められています。


ちょっと希少性という価値に対して、もう少し敏感に日々暮らしてみようと思います。
それから、またこのテーマで書いてみよう。

2011年2月4日金曜日

#9 妄想科学

主婦が太りやすいという事を無駄に妄想して考えてみました。

なぜかって電車の中にいたとなりの主婦2人が話してたから。


ちなみに、その2人の真上には黒ウーロン茶の広告があって、面白かったよ。
皮肉で


で、なんで太りやすいかなんだけど

主婦って基本的に四六時中飯の事考えているからだと思うんだよね。

朝飯を作って、お皿を洗っている時に、なんとなくお昼は何にしようかなと考えている。
お昼を食べた後に、少し満腹感に浸りながら、そろそろ夕飯ナニにするか少しづつ考える。

これが、太る原因だと思う。

というのは、胃の中に食べたものが溜まっている状態で、次に食べるものを考えている事で胃の吸収率が上がるのではないかと思う訳ですよ。


みんな一度は聞いたフレーズが有ると思うんだけど
デブが一緒に飯食って、腹一杯になって店を出て、その通りの飲食店のメニュー見て「うわこれうまそう。今度食いにいこっ」って言うでしょ?

あれ、多分生理的にそうなってくるんじゃないかな。

因果関係を証明した訳ではないけど、そういうのってある気がするんだよな。
人間って脳みそが中心だから、感じた事だったり、思った事だったりで、生理現象が変わってくるから、食べ物を考えている時は吸収率が上がっている気がする。

てことは、食べ終わった後に、すぐに仕事すりゃいいんじゃない?眠気に打ち勝てば、あとは通常通りな気がする。


てなことを考えながら、家に帰るのでした。

2011年2月2日水曜日

#8 選択する。無駄な事をする。

選択する。

人間はみんな生きている間、毎秒選択している。

いつ寝るのかも、いつ起きるのかも
朝ご飯食べるのかも、食べないのかも
電車の中で本読むのかツィッターするのかも
生きるのか死ぬのかも
大小関わらず、みんな選択している。

選択する事は人間が生きていく上で必要不可欠な行動だと思う。

選択するという事は要するに考える事に近い。

選択しているすべての行為にたいして、なんでか考える事が出来るのならば、その人間は凄いと思う。
なんで人が動くのかが分かるから


なんとなくという理由は、ない。
なんとなくな理由で、選択したものについて、1分だけ考えてみる。
そしたら、また、なにか違った選択をするのかもしれないし、同じ選択をするとしても、その達成度が違う。
人間半分以上無駄な事をして生きてる訳で、遠回りすることで、もっと生きてる事を実感できるんじゃないかな。
無駄なものだからなんと無くするのではなくて、後からでも良いから、なんでしたのか、なんで選んだのか考えたら、それは無駄じゃなくなる。


だから、いっぱい無駄なことして、いっぱい考えて、いっぱい無駄な事を無駄じゃなくしよう。それが今だから出来る事なんじゃないかなと考えてみました。